2016年8月31日水曜日

海外在住経験なしの貧困シングルマザーがマレーシア暮らしをしてみた結果2016年

Twitterでフォローして下さってる方の中には私が現在マレーシアで暮らしていることをご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、
よく聞かれるのは、「なぜ海外に?」「というかなぜマレーシア?」ということです。

今日はそれをテーマに記事を書きます。


まず語学問題から話しますが。
私の英語の基礎会話力は中学生のときに通っていた女子校で少し頑張っていた程度のレベルで止まっており、バイリンガルなどと、とても言えるようなレベルではありません。
英語以外の言語は特にそうです。

アメリカ、イギリスの映画や音楽は昔から好きでした。
高校の修学旅行が人生初の海外渡航となりました。(※特にお金持ちではない公立校です)
20代の頃、ご縁があって韓国との交流の一環でホームステイをしたり…

そんな感じでまったく海外情報や体験がなかった訳ではないのですが、私自身はまさか自分が海外旅行のみならず主体的に海外移住をするなんて夢にも思っていませんでした。
そもそも最初から選択肢として考えていませんでした。

自分でもなんでだろう?とは思います。
海外のことに目を向ける機会は多々あったのに。


その理由を改めて考えてみたのですが、

「ワーキングプア時代が長かったから」
という理由が一番大きい気がします。

そう、貧困…!

外に目を向けるほどの余裕が、私には20年以上まったくなかったのです。

生家では三食食べて健康で文化的な暮らしを送らせてもらっていましたが、社会人になってからは体調不良などで数日休んだらすぐ生活が回らなくなってましたし、実家の破産などの余波でギリギリの暮らしをするしかなく、若い頃の私は早い段階で貧困状態(広義の)に陥っていたと今ならわかります。

貧困状態に陥れば陥るほど、人はありとあらゆる視野が狭まっていくということを若い時分に身をもって体感できたのですが、経済を始めありとあらゆる余裕がないことは実は今も昔もあまり変わってません。

ですが、インターネットの使い方を覚えたことで、そんな私をとりまく世界がかなり変わりました。

「世界は、自分が思っているよりもずっと広いんだ」

そういうことに気づかせてくれました。

 インターネットには逆の危険性(画面の文字列や画像の情報にだけ囚われて、自分自身のことや周りが見えなくなる)も大いにありますが、インターネットが普及していなかったら、おそらく私は海外暮らしなんて考えもしていなかったはずです。

移住計画の最初の一段階目も、ネット経由で現地を知る人から情報をいただいたことでした。

ただ当然の話として、それだけでなく実際にその土地を歩いてみて、自分の目で見て聞いて感じて判断して、決断しないと何も始まらないので、ネットでの話はあくまで第一歩目のツールとしておくのがちょうどいいです。(私のこのブログも)


そして、私が海外移住を考えるようになった二つ目のきっかけですが、
間違いなく「福島第一原発事故」です。

あれは本当に、私だけでなく、多くの日本に住む人々の人生を大きく変えた出来事だったように思います。

原発事故当時は本当に、ありとあらゆる文献と情報を読みあさりました。
乳幼児を抱えながらのことでしたし、もうあんな思いと経験をするのはごめんですが、自分自身の本質と、日本社会のありとあらゆる問題を浮き彫りにした象徴的な出来事だったと思います。

今は原発事故だけではなく、「生活」と「子どもの教育」理由の方が大きいかもしれません。

日本で発達障害のある子どもを抱えてシングルマザーをやっていくのは、経済的にも教育的にも、私の体力的にも資質的にも、全てにおいて困難です。

ただでさえシングルマザーの貧困は「自己責任」というような論調がまかり通ってきていますし、民間レベルでもそういう意識が根強くあると感じています。


もちろん日本には色々な公助もありますし(根強く窓口で働きかければ)、ご家族の援助も受けられる方なら全然生きていけるとは思うんですが、特段助けも望めないような状況が続く中、3人子持ちの我が家はちょっと無理だなと…
私も専業主婦になって数年たち、フルタイムで働くにもブランクがありすぎました。


そんな状況の我が家でしたが、マレーシアに来てからは、
「ここはなんて快適で無理をしない生活を送れるんだろう…!」と感動し通しでした。

私自身はしがないフリーランスで、正直、今も大して稼げてはいないです。
子育ての大変さも、子どもが大きくなるにつれ、日本を出る前よりもさらにハードルが上がっている気がします。

それなのになぜ?そんなにちがうんだろう?と考えてみたんですが、

それは、やはり「生活のしやすさ」と、マレーシア人(マレー系中華系インド系ルーツを問わず)が持つ「子どもに大らかな国民性」にあるのかなと思います。


ひとつ参考までに、マレーシアでの我が家の暮らしにかかる生活費を公開します。

(※2016年8月現在のレートです)
家賃25,000円(プールつき3LDK(家具なし))
電気水道代ガス約1,000〜2,000円
食費約30,000円
ガソリン代5,000円
ネット+携帯電話代7,000円

節約して住もうと思えば月100,000円以内の生活費で居住可能です。(2024年追記: 当時に比べて日本円安マレーシアリンギット高のため、かなり生活費も上がっています。)
勿論、教育費や他のお金、貯金や渡航費なども必要になりますし、実際はもっとかかってますが…
あと、円高もいつ終焉を迎えてもおかしくないですしね。(2024年追記: 円安すぎて泣いています。)

でも月100,000円でわりと快適な暮らしが出来てしまうのは本当に最高ですし助かります。
日本で同じことをしようと思ったら、おそらくこの3倍はかかると思いますので…


日本では「お金がある人でないと海外移住なんて出来ない」と考えられていたと思うのですが、
マレーシア含むアジアに焦点をあてるなら、むしろ日本で貧困に喘いでいる人ほど海外で働いた方がいいのではと私は思っています。(これは2024年現在もそう思ってます。)

海外経験がないからといって、関心があるのに及び腰になってしまうのは勿体ない!です。


ただ、自分の中で現地での確かな目的意識ややりたいことがはっきりしていないと、せっかく出てきても「海外移住うつ」状態になってしまうかもしれませんので、万人にお勧めは出来ないのですが…

あと、アジアでの「安さ」のみを目当てに滞在してきた日本人の方から、必ずと言っていいほどマレーシアでの愚痴や文句ばかりが出てきてしまうという悲しい現実もあります。

その土地での目的やローカルの人たちとコミットしようとする意識を持っていないと、けっこう陥りがちかもしれません。

それもまた勿体ないことだと私は思います。


話は変わりますが、私が「マレーシアいいな」と思うもう一つの理由は子どもに大らかなところ」なんですが、それはよくも悪くも、家族や地域間の助けあいで社会が成り立っているという証拠でもあると思います。
大人や年齢の大きい少年少女、みんなで子どもを育てている雰囲気がとてもいい感じなんです。


そして、民族の多様性。

最初から異文化が当たり前に身近に存在する環境が、これからの未来を生きる子どもにとって、どれほど糧になるかを実感しています。

勿論、多様性の裏面はきれいごとでは済まない部分もありますが、それもまたよし…


日本だけの独自ルールで日本人が生きてきたこと。
自分に実は選択肢があるということ。

それを日本人がそれぞれの経験の中で知るだけで、未来はもっともっと広く拓けるのではないでしょうか。

私はこれまでも今もそう信じています。


今後も色々と綴っていこうと思ってます( ´ ▽ ` )ノ

本日も読んでくださってありがとうございました!

2016年8月28日日曜日

タイにいる間に色々と考えたこと。

こんにちは。

なんだかすっかりタイ旅行から戻って落ち着き、元どおりの暮らしをしています。
タオです。

次女のお腹の調子が悪いこともあり超まったり日程のバンコク旅行でしたが、私的には色々とリセットできてよかったです。

長女と三女もタイが好きで、もうホテルで寝て起きてご飯を食べるだけで楽しかったようですw
年の近いお友達とも遊んでもらえて嬉しかったらしいです。

よかよか。ありがたや。


タイ人はマイペースで優しい感じの人が多く、子どもにも優しい大人が多いイメージなんですが、実際バンコクでもそういう雰囲気を感じました。
とても過ごしやすかったです。

そしてタイバーツの貨幣感覚が身についてきた頃にタイを去らないといけない切なさよ…

次行くなら、もう少しタイ語をマスターしていかないとなぁと思いました。
発音とか聞き慣れていないので何もわからぬ…
付け焼き刃のタイ語はあっさり撃沈しました。

数字とかも覚えたのにいざという時にまったく出てこず…

「サワディーカー」
「コップンカー」

くらいですね、まともに出てきたのは。

まぁ、次回の上達に期待かな!(他人事)

今度は一度チェンマイに行ってみたいな〜


しかしまぁ、タイ在住の日本人の皆さんにも色々話を聞いて思ったんですが、どこの国もまぁ色々ありますよね。

タイ然り、マレーシア然り。
もちろん日本も言わずもがな。


なんだかずっと、世界全体が揺れている感じがしてます。

熾烈な奪い合いが始まってしまうのではないか。
そんな恐れを私は抱いています。


そういうピリピリしてる時ほど、男性は戦い守ることを求められ、女性差別が激しくなる風潮にある気がします。

そして、子どもがたくさん犠牲になる。

東日本大震災や熊本大分大震災でも感じていたことですが。


ほんと、色々考えないといけないなぁ

よくボケボケしてるように見られますけど、私には悠長にしてる時間はあまりないです。

なぜなら、こういう時に真っ先に潰され排除されるのは、私たちのような後ろ盾がない者だから。


まぁみんな、よりよく生きて、よりよく死ねるように、頑張ろうぜ!

と思います。

自閉症児ひーちゃん2016

今日は我が家の次女、自閉症児のひーちゃんとの暮らしでどういうことがあるのかを記事に書いてみようと思います。

一口に自閉症といってもその特性は個人個人によって異なります。
一概に「自閉症とはこういうもの」という定義は広義すぎてできないのです。

そういった前提になりますが、「うちの子はこんな感じ」という特徴や今までの行動パターンを上げてみます。

◆周りの言葉の模倣をしないことが多い。音だけを口から発している感じ。定型の(日本語や英語の)意味のある言語を発することがほぼない。
◆夜遅くまで起きている、または早い時間に寝ても深夜に起きてしまう。
◆いったん火がつくとものすごく大きな声で泣き叫び続けるが、新しい興味の対象を見つけるとピタッと泣き止む。かと思うと急にケラケラと笑いだす。
◆食事は手づかみ。スプーンなどを使えないわけでないが、手の方が本人は使いやすいよう。
◆自他の境界線があまりない。「これは自分のもの、あれは他人のもの」という認識がなく、目についたら人のお皿によそってある食事を食べようとしたりする。
◆私の鞄の中身をあさり中身を出す。財布やパスポートの形が気に入ったのか、私が大事にしているものと認識してるのか、それで遊びたがる(!)ことも…
◆歯磨きを全力で拒否する。 
◆シャンプーや洗剤を床にぶちまけて遊ぶ。(悪気なし)
◆絵本をかじる。
◆生卵やはちみつ、砂糖、塩、米、味噌などを気の赴くままに舐め、床にぶちまけて放置する。(私が叱るといったん止めるが、何度でもやる)
◆鉛筆をかじる。消しゴムやクレヨンをかじったことも。便から出てきたので様子見ですがまだ心配です…「マズい」と思って吐き出したりしません。
◆ベランダからおもちゃなどものを落として遊ぶことにハマって、一時期本気でノイローゼになりかけたことがある(私が)
◆たたんだ洋服類を棚からすべて投げ落とす。
◆靴下を濡らし、振り回して床を水浸しにする遊びにハマる。
◆冷蔵庫を開けっぱなしにしたがる。(ストッパーをとりつける→壊す…現在に至ります)
◆ペットボトルを潰したものを上下運動させてベコベコと音を出す(これがものすごいうるさい)
◆トイレでトイレットペーパーをすべて水に浸す遊びをして、水道管を詰まらせる。

…書きだして頭が痛くなってきました_| ̄|○


正直言って、次女との生活はけっこうストレスがたまる時もあります。

例えば、彼女が好ましくないことをして、私が叱ってもいったん止めはしますが、一度興味の対象として固定された物や行為に執着します。例え何回叱られようとも。

また、触らないでほしいものはすべて高いところにおくかストッパーをつけたりして対策はしますが、次女も次女でまた進化しており、椅子を使って登って取ったり、ストッパーを破壊したりするなど、5歳児らしい対抗策を披露してくれます(泣)。

お母さん、手に負えないわ…_| ̄|○
でも多分、これからもっと手に負えなくなっていくと思います。
はあー…

こういう時につくづく思うのは、「自閉症の子どもは、自然の中で思いきり遊ばせる時間をたくさん作った方がより健全育つ気がする」ということです。
(自閉症児に限らず、子どもは誰しも自然にたくさん触れた方が、感性や感覚が豊かになるとは思ってます。(あくまで持論です))

部屋の中で決まったパターンの遊びをし続けるのも一つの過ごし方で、それも彼女も落ち着いて過ごせるのですが、それだけだとなかなか自分で出来ることが増えていかないのかもしれないと思ったり。

命を失うレベルの危険な行為をしたり明らかに他人に害が及ぶようなことは制止しますが、それ以外は彼女がどういう行動に出るか見守るくらいが、今はちょうど良いと感じています。


2016年8月20日土曜日

ある日のひーちゃん タイランド編

はい、すでに過去系になってますが、
タオ家、タイに行ってきました。

全員初めてのバンコクでございます。


飛行機搭乗も全員慣れたもので、もうすっかりプロフェッショナルです。

チェックインからイミグレーション通過し、ボーディングタイムを経て、飛行機搭乗。
席のメニューを開くところまでがワンセットw

次女ひーちゃんもプロセスをよく把握していて、窓辺の景色を見るために窓側席を確保します。

さーさーご機嫌ジャーニーの始まりだよ〜
ここまでくるのに母子ともに頑張ったな〜

なんてわくわくしていたのもつかの間…


ホテルに着いてびっくり。

「ひっ ひーちゃん、超お腹くだしてますやん!?」


結局何が原因がわからなかったんですが、昼に食べたパンか、空港で食べた食べ物が良くなかったのか…?


初日からそんな感じで、1週間ほど次女はお腹の不調に悩まされることになります。
自動的に私もホテルに缶詰め…(^_^;)

振り返ってみても、ホテルの中で過ごした記憶がほとんどでした。しょんぼり


長女と三女は現地のお友達が連れ出してくれたり遊んでもらえたので、何とか思い出もできたかな。

色々とアテンドして遊んでくださったAさんご一家始め、タイの皆様、この場をお借りしてありがとうございました!


そんなこんなで1週間ほど寝込んでいたひーちゃんですが、なかなかの賢者でした。

私が教えたわけでもないのに、下手に遊び動かず、じっと丸まり眠り、何か食べるのは最低限にして、水を飲み、塩を舐め(歯磨きなどに使う用に持参してるのです)…


君、わかってるね!?

と、母は感心しました。
びっくり。

せっかくのタイ旅行中に美味しいものを堪能できないのは可哀想でしたが、ナチュラルに自己管理できてる次女はすごいなと思いました。


いや〜 しかしすごい数のオムツがすごい勢いでなくなっていきましたね…はは…

何十回換えたっけ、覚えてないくらい。


そして実はタイの病院に一度行こうとしたんですが、ものすごい高級ホテルのような佇まいの病院でしてね…

「保険使えるけど、お会計は立て替えてもらわんとアカンでー」
と会計係に言われて(もちろん英語でw)、どんだけ高額になるのかとビビって結局受診させずに戻ってきてしまったんですが(おい)。

まぁ出来れば病院行きたくない派なのでね…

お腹壊した時は、無理に症状を止めるよりはひたすら水分とって毒を出した方がいいですしね。

なんとか次女が自力で回復できてよかった。

白湯と果物と塩で乗りきりました。ポテトも食べてたな。


…しかーし、その後は三女と私がダウンしました。

かなしい!/(^o^)\


むしろホテル滞在でよかったかもしれません。

毎日部屋をきれいにしてくれるし、ルームサービスも頼めるし。


それにしてもタイはとてもご飯が美味しいし安いし、そこに暮らす人たちものんびりテキトーで優しいし、人気あるの分かるなぁと思いました。

自分のタイ語の話せなさがもどかしかったですね。

次は料理の注文くらいはできるようになりたひ。


次の回ではタイで感じたことを徒然綴りたいと思います。

2016年8月17日水曜日

自閉症スペクトラムの子のマレーシア滞在VISAと教育について2016

どうもこんばんは。久しぶりの更新です。

今現在マレーシアにて住まわれている方は肌身で感じておられるようですが、マレーシアも年々ビザ申請の条件が厳しくなってきていますね。

その中の顕著な表れとして、6歳未満の外国人の子どもは、インターナショナルスクールの幼稚園に通っていてもStudent VISAが出なくなってます。(2016年8月現在)

ですので、6歳未満の子どもを連れてマレーシアに滞在できる方法というと、

1.マレーシアにある企業から就労ビザ(Employment Pass)が出ている親の付帯ビザ(Dependent Pass)で滞在する
2.MM2H(マレーシアマイセカンドホームプログラムというロングステイビザ。10年滞在できます。永住権とは違います。)

この二つが主な方法となっています。
いまや一般庶民にとってハードルはそんなに低くないです。マレーシアに住み続けようと思ったらですが。


とはいえ、選ばなければKL近辺にはまだまだ仕事がたくさんあります!ジョホールバルなどにも。

子どもと一緒にマレーシアに来たい方は、何だかんだまず現地の就職先を探してみるのが一番無難だし近道だと思いますね。

Twitterにもちらほら書いてますが、私自身もマレーシアにて休職中です。


しかーし。

我が家の次女、自閉症児ひーちゃんはほどなく6歳になるのですが、Student Passを出してくれるようなインターナショナルスクールで、自閉症児を受け入れてくれるところってなかなかないんですよね。
自閉症児を受け入れ可能なローカルスクールも、年々外国人が入学できなくなってきています。
というか、実質、不可能?

だからという訳ではないんですが、今のところ私は次女を発達障害の専門のサービスセンターにまず定期的に通わせたいと思ってまして、最初から学校教育でないとダメだとは考えていません。
そして療育も英語で受けたい。

何より、本人のペースをなるべく尊重したいです。

受け入れてくれる学校があるなら喜んで通わせると思いますが、次女にどうしても学校教育が合わなければホームスクーリングもありかなと思っています。

彼女が何に興味を示すか、何が向いてるのかは、色々と取り組んでみないと分からないですけどね。


で、そういうことを考えるとですねー
これは次女の問題よりも私の問題なんですが、

「私、フルタイムで働くと子どものことで色々と臨機応変に動けなくなるんじゃないのか…?」

という心配はちょっとありますね。


まぁ我が家はあまり悠長なことも言ってられないので、就活コースで滞在ビザ問題をまず解消する方向性です。

マレーシアは近所の人だったり家事育児で手を貸してくれる方が近くにいるのがありがたい。
日本だったらこうはいかなかっただろうなと…


ちなみに幼稚園で自閉症児への対応可能なところはマレーシアにもちらほらあります。

療育をきっちりこなす雰囲気のところは少ないかもですね。
いずれにしても、まずは園の先生に相談してみることが先決です。
たとえ受け入れ不可能でも、他の園やサービスセンターを紹介してくれたりしますので。


ただ、それなりにちゃんと見ててくれるところはやはり大人気なので、ウェイティング問題があります。

マレーシアでも待機児童問題かよ!ってなもんですが、入園希望は早めに出しておきましょう。

2016年8月6日土曜日

広島への原爆投下の日に思うこと

こんにちは。久々の更新です。

毎年やってくるこの日。
71年前の広島に人類史上初の原子爆弾が落とされた日に寄せて、今日は思うところを書いてみたいと思います。

私は10年ほど前になりますが、毎年8月6日の日に合わせて広島市で行われる平和式典に参加していた時期があります。
私はキリスト教信者の家に生まれたのでその流れでご縁があったのですが、その時の経験からだいぶ広島という土地とだいぶ親和性が高くなれたように勝手に思っています。


教会の子どもたちも一緒に広島まで新幹線で行き、泊まりこみで勉強会?と合宿をして8月6日に備えていました。
資料館の見学なども同時に行っていました。

引率の立場だったので少々責任が重く、正直、まっすぐな気持ちで祈るような余裕はなかったのですが(50人以上の大所帯だったので食事の用意をするたけで一苦労です)、一つだけ今も強く印象に残っていることがあります。

それは、被爆者の男性のお話を実際に聞いた時のことです。

その方のプライバシーの問題もありますので詳細は省きますが、8月6日にご自身が経験したことを語って下さいました。
その方はお話のプロという訳ではなかったようなのですが、1時間ほど私たちのために時間を割いて一生懸命に話をして下さっていました。

…なんですが。

何だか私は、失礼かもしれませんが、途中で妙な違和感を感じたのです。


最初はそれがなぜなのか分からなかったのですが、そのうちに気がつきました。

「この方の体験談というよりは、第三者のような目線で語られている」と。

でも今なら私にも理解できます。

「人はあまりにも受け入れがたい出来事があると、防衛機制が働くのか慣れていくのか、自分が経験したことのように語らないようにするのかもしれない」ということが。

(私も、その昔に自分が体験したショッキングな事件を語るとき、あの時の広島市民ののように他人ごとのような話し口になっていると気がつきました)


当時は原爆投下から60年ほど立っていたはずですが、「原爆とは、長い年月を経てもなお、身体の負傷だけでなくこんなにも心に影響を及ぼすものなのか」という事実を目の当たりにした気持ちでした。

それでも勇気をもって私たちに語って下さったあの時のおじいさんには感謝してもしきれません。

勇気をもって、若い世代のためにご自身の体験をシェアしてくださって、ありがとう。


そして、話は変わって今日の出来事。


Twitter上では数々の祈りの言葉があがりました

その中にいくつか「加害者である日本が被害者ぶって…」というような言説の言葉を見かけました。

「被爆者の被害者意識が政治利用されてきた」というようなことも…

恐らくは、日本人であるアカウントによって。


私は考えます。

第二次世界大戦の被害者とは、加害者とは一体誰のことなんだろう、と。

ほぼ全員が、加害者であり被害者であったようにしか思えないんです。


正直私は、特段に愛国心が強い方ではないです。

何なら移民として受け入れてくれる国があるなら日本人でなくなってもいいと思うくらいには、現在の日本という国のあり方に絶望しています。


それでもね。

被爆者に対して祈りを捧げる日に、戦争で死んでいった日本人たち、または、今生きている日本人に対して、日本人として生きている人が「被害者ぶる」などと言うのは…一体何なんだ?

どこの地獄だ?

正直に言って、やり場のない怒りと悲しみを感じました。

そんな風に先祖のことを断罪できるようなあなたは、一体どんな立派な人間なのか?

皆流されやすくて世論に簡単に影響されるような「普通の人間」だっただけなんだよ。

勿論それは、当然戦争に乗じて様々な蛮行をしていい理由と免罪符にはならないとしても。


そういう言葉が出る人は、当時の日本の為政者とも、原爆を落とすことを決定したアメリカ人のトップたちとも、「欲しがりません、勝つまでは」などと熱り立って戦争への道へ突っ走っていった当時の国民とも、精神的に根っこは変わってないと感じます。

加害者と被害者の線引きを、個々の基準で国ごとに勝手に決めてる行為は同じ。

結局は、みんな憎しみを利用されているだけなのに。


一度戦火の中に放りこまれてしまったら、あとは被害者と加害者が決められるまで、焼き尽くし殺しあうしかなくなる。

その本質は現代も何一つ変わっちゃいない。

戦勝国とスケープゴートにされた国=被害者で、敗戦国=加害者ということになるのが戦争の本質なんだ。


起こってしまった戦争というものをもっと多面的に見た方が良いと思う。

なぜなら、今もなお世界中で何かしら「奪うための理由」をつけては戦争が起こっているから。

それは、誰がしているの?


私には第二次世界大戦下の日本と現代のイスラム諸国の立場が、非常に酷似しているように見える。

これも「日本人の被害妄想だ」ということになるのだろうか。

私と同じように、敗戦国日本で生まれ育ち、日本語で教育を受けてきたであろう人たちによって。

(戦勝国のヒトたちから見たら、なおさらかもしれない)


誰一人、戦争で死んではいけなかったし、殺してはいけなかったんだよ。

それは、日本人も日本人以外にもあの戦争に携わった全員に言えること。


でも、当時「戦わない選択肢」なんて、日本という国に残されていたのだろうか?

そこは私は非常に疑問に思うところです。


このままいくと日本人は真っ先にまた同じ歴史を繰り返すのではと、私は懸念しています。

だから度々「第二次世界大戦下の日本人とメンタリティ変わってないよ」と言っています。


もう二度と、自らの憎しみを、虚栄心を、利用されてはいけない。

戦わない。
奪わない。
奪われない。

日本人はそのための知恵をつけるべきなんだと思います。


「過ちは繰り返しませんから」


…本当に?

それは、誰の、誰に対する過ちなのか?

そのことを、私たちはよくよく考える必要があると思います。


私は、学生だった当時に被爆して至るところに火傷を負ったという、広島の被爆者のおじいさんの淡々とした語り口と虚空を見つめる虚ろな目を思い出しながら、圧倒的暴力を目の前にして動けなくなってしまった人の生き様に思いをはせながら、かつて日本軍が占領したこともあったというマレーシアの地で、すべての戦争被害者の為に祈ります。

そして「今もなお戦争を欲する人の渦から逃れ現代で生きていくために、奪われないし奪わないと決めた人たちと手を取り合って助けあえるように知恵をお貸しください」と語りかけてみようと思います。